2018
11.05

About US

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オオクボファクトリー起業までの歴史

弊社は2014年3月に個人事業で岐阜県大垣市で開業いたしました。お蔭様でGT-R、ER、2ドア、4ドア問わず沢山の34で毎日溢れております。

僕と、R34の出会いは新車が販売された1999年。当時21歳この、本のようなカタログに衝撃を受けたのを覚えています。ただ、当時の僕には到底手の届く車ではなく、当時はランエボ乗りでどちらかと言うと、GT-Rをみかけるとランエボで挑発する小僧でした笑。そんな重たい車、速いの?って思ってました。

GT-Rにはほとんど興味なかったのですが、伊藤裕貴社長の33GT-Rに乗った時衝撃を受けました。それまでは180sxとかミニクーパーとかランエボとか小さい車が好きで乗ってました。GT-Rを初めて運転した時の感想はパワーは、もちろんですがアテーサシステムに感動しました。4WDでもなくFRでもない、その両方。こらがGT-Rか~ アテーサの醍醐味は高速コーナーだと僕は思います。例えば、150キロくらいで高速道路のジャンクション(大きな長いカーブ)をアクセルを踏みながら3速から4速に加速しながら走ってみて下さい大人の刺激が待っています笑。2.6Lターボ+アテーサによって生み出される刺激は唯一無二だと思います。ウィペディアでアテーサE-TSと検索すると開発秘話が掲載されており鈴木亜久里氏に同じ車両で、アテーサ「あり」 「無し」でテストをして、「あり」のことを伏せてテストした際「何、この車、どうなっちゃったの、こんなトラクションかけられるタイヤができあがったの?」と驚愕の感想をスタッフへ語ったと言います。ここからGT-Rこそ、日本スポーツカーの頂点だと思うようになり小さい車に興味を持たなくなりました。自分が子供だったと言うことですね。更に34GT-Rに乗るとボディ剛性に惚れてしまいます。当時の国産スポーツカーでは一番ボディ剛性が凄いのでは?この「34のボディ」のトリコになりました。まさに「ボディは力だ」

僕と、正式にR34と結ばれたのは、比較的最近で34歳の時(2012年)当時サラリーマンとして勤めていたスポーツカー販売店で購入しました2012年次点で、無事故の10万キロのSTDパープル2、店頭プライスは448万円の車でした。まだ長男が4歳、次男が2歳の頃、アパート住まいで家賃75000円でした。当時の給料は固定で総支給30万でした。アパートの駐車場で壁際に代わってもらい毎日壁に寄せて、助手席から降りて盗難対策をしていました。自動車業界に勤務していたとは言え、かなり無理して買いました。毎日10キロ程の通勤に使用していました。一度、マンションで盗難未遂+10円パンチにあったこともあります。僕も普通にイチオーナーなんです。

そして、運命を変える日が来ました。僕にGT-Rを教えてくれた裕貴社長が突然他界しました。享年43歳。接客をしながら突然倒れました。最後に接客した車はベイサイドブルーのV2でニスモコンプリートの車両でした。その車を売りながらこの世を去って行かれました。丁度この頃、ヒロキ社長とは、新しい大きい鈑金工場に移って買取店と併設するか?って色々構想を練っていたところでした。(よい物件もあって)毎日、朝8時30分から、夜は22時くらいまで働いて昼間は鈑金仕事、車を見に来た人がいたら接客に、土日は完全に接客モードで、毎晩PCの前でデスクワーク。傍からみたら、残業も付かないブラック企業?だったかもしれませんが「仕事が楽しい!」と思える感覚を育ててくれたのはヒロキ社長です。自分で考えて自分でトライして、成果を出す。全部、ケツ持ちしてくれたのがヒロキ社長でした。最初は、ヒロキ社長の想いを受け継ぎ、パナソニックの松下幸之助さんのように裕貴社長をGT-R界のレジェンドにするのが僕の指名だと思っていましたが、やはり想いがすれ違う人達とは仕事は出来ませんでした。昔の上司に言われましたが 「仕事は何をするか?」ではなく「誰とするか?」  この時にマイカーの34Rを手放しました。車屋さんアルアル?辞める会社にマイカーを売却して辞める。ある意味、ケジメですかね~~笑

そんな時、僕に手を差しのべてくれたのが、レーシングサービスタカギの高木社長です。タカギ社長は、地元の先輩?のような方で、10代の頃からのお付き合いになります。車の事なら、何でもケツ持ってやるから自分で起業してみるか!と。最初はタカギさんお店の一角を改造して一緒にやる予定だったんですよ~。

すると、絶妙なタイミングでタカギさんがお付き合いされていた鈑金屋さんが鈑金業を廃業して保険業だけされると。居抜きで鈑金工場をお借りできることになりました。これが、オオクボファクトリーの始まりです。僕は本当、人に恵まれていると思います。当時のお客様達に支えられて沢山お仕事を頂き、順調に自動車鈑金業、販売業を営むことが出来て本当、「感謝」しかありません。大家さんもとても良い方です。

古巣を辞める時、34Rを手放したので、代わりにマイカーになったのがコレ。サビサビのENR。15万キロ。こんでも30万くらいしたかな?今みるとアルティアバンパーにインパルサイドステップ、トミーカイラ リアアンダーとレア過ぎる組み合わせ笑。これが僕の34への挑戦の第一歩です

About US 2  OFが目指す姿

 

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